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4/1/2006 花見湯我が家は築30年にはなろうかというオンボロ借家である。
冬場の隙間風にはホトホト閉口するし、瓦は老朽化の一途を辿り
いつ雨漏りをしてもおかしくないほどだ。 他所様の耐震偽造を憂う
以前に、強度に関してもいささか不安がある我が家ではあるが、この
季節になるとひとつだけ自慢の風物がある。
建物に寄り添うように根を張った大木の桜が花をつけ、その桜吹雪が
舞い散る様を風呂桶から悠然と眺めることができるのである。 これ
程素晴らしい花見もなかなかないのではないかと狭い風呂桶の湯船
に浸かりながらひとりほくそえむのだ。
転居の決め手となったのもこの桜の木が一役かっている。
ここに越してくるまでは長らくマンション住まいで、ユニットバスの壁面に
は小窓さえなかった。 あれはよくない、入浴中の閉塞感たるやまさしく
現代社会の縮図そのものである。 排他的で風通しの悪いマンション
の風呂場には、何やら人の輪に加われない現代人の汚泥が詰まってる
ようにも思える。
風呂には窓、窓には桜、そして桜の枝には午睡に落ちるピアス(のらねこ)
これほど春を満喫できる東京の名所もないのではないかと考える土曜の
午後でした。
2/5/2006 痩せ我慢の美学時に、痩せ我慢は人間を強くする。そんなの損じゃん と言われれば、全く異論はない。しかし損得ばかりが 世の中ではないのであって、銭餓鬼の蔓延る我が民 族にはとりわけ必要な精神修行だとおもう。損得で はなく尊徳である。痩せ我慢というのは、甘んじてグッ と堪えるところに奥ゆかしさを見い出さなければ意味 がない。嫌々我慢を強いられるのではなく、敢えて自 分を律して我慢してこそ、後に動じない魂の糧となる 。修行僧が拓く悟りといわれるものが、俗世との関わ りを絶ち我慢の一念によって成されるのがその証拠と 言えよう。そうして磨かれた精神は浅はかな流言にそ そのかされることもなくなり、物事の本質をかぎわける ようになるのだ。今朝立ち寄ったコーヒーショップでは、 二人組のオヤジが大企業の名前を出しては、あーで もないこーでもないと金儲けの密談に唾を飛ばしてい た。呆れるくらい空っぽなのである。彼等の頭の中には 拡大することと消費することしか浮かんでこないらしい のだ。つまりビジネスに我慢が不必要なように、そうい うしがらみに生きてきた者は吐き出す回路しか働かな くなってしまうのだろう。憐れ至極である。仕事がビジネ スと呼ばれるようになって、そのどんつきでメルトダウンし そうな昨今、痩せ我慢によって得られるものを重んじる か否かは、それぞれの培ってきた価値観に委ねる外な い。自分の心を読めるのは自分だけ、痩せ我慢とは外 でもない己れとの戦いなのである。 1/24/2006 我輩はネコ長者である寝言のように世間で繰り返されている銭ゲバ達の論争を横目に、 安酒をあおって日々を過ごす気分はどうかと尋ねられれば、正直 そんなに悪くない。現代を生きるうえで不可欠なカネではあるけれ ど、有り余るものはやはり余分なのである。本来物欲の対価とし て支払うべきカネを、彼等は自分のステータスの飛躍に使ったのだ。 しかし一見カネで金を買うというと本末転倒に聞こえるが、戦後我 々がカネで手にしてきたものを省みるに、車、流行のファッション、 装飾品、新築一戸建て、マンション、最新式の電化製品、等々 。その殆んどが空っぽの中身を覆い隠すためのイミテ―ションではな かったか。つまり買って身についたもんは、その時々のステータスとい うたいして変わり映えのしないものだということだ。話題のホリエモン、 引いてはヒルズ族と称されるIT長者、株式市場の庶民化などがカ ネの価値を変えたように見えてしまうが、実際はバブル好景気に浮 かれた庶民のそれと何ら相違ないのである。さて、そんな時代に幸 か不幸か私は貧乏であり、焼酎の残りが気掛かりな日々を過ごす 。傍らには雪景色を呆気にとられて眺めてるノラ猫。この先ノラ猫の 気持ちをカネで買えるような時代が来ないことを望むばかりである。 12/2/2005 フランチャイズベイビー画一化されたカラフルな店内 オートマティックな微笑みで少年に注文を尋ねる店員 「御注文はお決まりでしょうか」 随分見慣れた光景である。 自分の力ではメシにもありつけないガキ相手に,少なくともなにがしかの稼ぎ を得ている大人が慇懃にふるわなければならないマニュアル社会の珍妙な 現象が昨今の大人と子供の構造をずぶずぶにしてしまっている。こういった 環境で育ってしまう子供が、大人を、引いては社会を舐めてかかるように なるのは自明のことで、金さえ払えば優越的な立場に立てるなどと誤った 考えを持つようになる。 このマニュアル至上主義のフランチャイズ企業が日 本に流入して四十年余りが過ぎ、日本を余すところなく侵蝕してしまって いることは、どの地方都市に赴いても見慣れた看板から逃れられない現実 がものがたっている。 その結果恐ろしいことに大人子供の逆転してしまった 世の中で育った子供が、四十年の歳月を経てすでに子を産み育てている というわけだ。 累々と生み出されていくフランチャイズベイビーたちは世をなめ人をなめ金だ けを信じて、果ては社会を動かしていくのだろう。 その走りがホリエモンやミ キタニということである。 もしも心ある企業のエライさんがいるならば、いっそのことこういうマニュアルを 作っていただきたい。 (子供には子供らしく接しなさい)と。 11/17/2005 救済されるべきは誰か先日、新宿では路上禁煙キャンペーンなるものが催されていた。 この新しく芽生えつつあるルールは千代田区をはじめとして徐々 に都内にまん延しつつあるが、一言でいうなら根も葉もないクリ ーン思考がもたらした隣人を許せないニンゲンの戯言であると私 はおもう。 靖国通りや甲州街道を無数の自動車が廃煙を巻き散らしな がら行き交う街のど真ん中で、あなたの一服が悪ですとはあまり にも幼稚で視点のずれたメッセージであろう。彼等の言わんとし てる要点はポイ捨てで街が汚れる、非喫煙者が煙たがる、火 のついた煙草は危ない、と大体この3つで、そのどれひとつとって も屋外での禁煙を啓蒙するほどの説得力には遠く及ばない。 白いお揃いのジャンバーに身を包んだその集団にも車を所有す る者や酒好きの者やもしかすればヘビースモーカーがいるかもし れない。そうやって他人のあら探しばかりに気を取られていると、 知らぬ間に自分の首を絞める始末になることくらい容易に想像 がつきそうなものである。 昨今あらゆる方面で展開されている啓蒙活動であるが、ホワイ トバンドを筆頭に信頼に足るものが皆無である。これみよがしの 善を掲げて人心につけ入り、まん延する中流意識を擽るだけの 金集め組織ばかりなのである。タレントパワーに威を借りこれから も似たような啓蒙ビジネスが手を代え品を代え現れるのは必至 で、その都度話題と金をかっさらっては姿をくらますのだろうが、こ う平和ボケしてしまった世間では被害を避けて通ることは難しい だろう。 最後に私から啓蒙の一句を。
タレントの通う食いもの屋が美味いとはかぎらないのである。 11/6/2005 嘘月(うそつき)手に付く油を拭い去る毎日
11/2/2005 目覚めるわけにはいかない事憲法改正が論議され始めた昨今、我が国は少しくおかしな方向に 舵をとりはじめていると感じる。ここ数ヶ月におこった政局の急激とも いえる力関係の変化、それに合わせるように、マスコミに象徴される 国民の総意というものが緩やかなスピードで右寄りに傾き始めている ように思う。日本民族というものはそもそも目に見えぬモノに弱い。古 来より権力やカリスマ性に容易く迎合してしまう性質があって、例 えそれが虚構の仕業だとしても蛇が卵を丸飲みするがごとく与えられ たイメージというものを絶対だと信じて疑わない。常に他力本願で、 稲の成長を自然の仕業に頼ってここまできた日本民族の誇りとも弱 さともとれる部分が、奇しくも現代社会の仕組みを支える肥やしとな ってしまっているのだ。小泉独裁とも取れる数々の横暴すら、改革と いう名の元で速やかに正当性を勝ち得てしまう現状は非常に危険 極まりなく、経済成長を餌に軍拡を謀る現政権を神聖化してしまう 恐れすらある。そうなってしまっては例え小泉本人が望まなくとも、奈 落へと続く流れは加速度を増すのであり、誰もそれを止められなくな るのだ。嘗てハーケンクロイツを御旗に世界を震撼させたヒトラー率 いるドイツ労働者党も、始まりは極小さな流れからだった。芸術青 年だったヒトラーがあれほど強大な権力を得るために先ず手をつけた のが憲法の改正だったのを鑑みると、背筋の寒くなる感情を覚え ずにはいられない。 タカ派政治家のいうところの「普通の国家」なる ものがどれほど第三国の感情を逆撫でするものかは察するにあまり ある。 これから先どのような行く末を歩むのかは定かではないが、我 々国民一人一人が過去に犯した過ちを忘れないことが肝要になる と思われる。けして風潮などというものに流されず、けしてお座なりに ならないように心がけるほかないのである。 何故なら我々はこの流れを止めるべく法的手段を持たないのだから。 10/30/2005 コーヒーコーヒー屋の店員が手際よくマシンでエスプレッソを煎れる。 客のためではなく、自分のためにだ。 そして抽出したてのエスプレッソを一息に飲み干す。 実に粋である。 彼はコーヒーを愛してやまずコーヒー屋の店員になったのだ。と想像したくなる。 私は彼の煎れるコーヒーが飲みたい、 忙しさの合間を縫って施される自分への一服を少しだけ分けてほしい。 コーヒーとはこうあらねばならない。 10/16/2005 オデュッセウスか!!今日パソコンのウィルスソフトがご丁寧にスキャンをしてくれた。
数分後「トロイの木馬発見」との警告が発せられる。
なに?なんなのトロイの木馬って?
怖い!怖いよぉ!ヒイイイイイイイッ!!
なんか潜んでんのはわかる、わかるけどそのネーミングやめてっ!!
ゾロゾロ出てくるのか?木馬の中からギリシャ神話風の何かが出てくんの?
う~~~~ん全然わからんので、とりあえず削除ボタンを押しといた。 10/12/2005 世間のやきもちマスコミに面白おかしくいたぶられてる杉村大蔵議員について少しばかり エールを送りたい。ちょっと古い話題になるけど、ケツを叩かれて開いたの であろう弁明会見の席でのひとこま。 三連休の間に読んだ本の数を頭 の悪い記者のひとりが質問した。議員は暫し沈黙の後、「一冊です」と 返答した。間発入れずに会場一帯から失笑がもれる。それをテレビで 見ていた私は、よくぞ正直に言ってくれたと内心胸を撫で下ろす。その日 いくつも浴びせられた質問の中で、この問いが一番彼の真価を問うよう な気がしたからだった。
状況にあれば心にもないことをつい口走ってしまうものだ。恐らく彼は 答えに窮して空を見つめていた間、これまでの自分とこれからの自分の 間を行ったり来たりしていたのだろう。そして彼は過去の贅肉を棄てた。 今はそれで十分だと思う。 間に何十冊の本を読み、理解できるというのだろうか。余程の読書の 達人でない限り、一冊の本を読み、噛み砕いて理解するにはそれ相 当の時間が必要だということを学んだほうがよい。 ライトノベルを斜め読みするだけが読書ではなかろうに。
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